神渕神社の黒獅子


アシナズチ  テナズチ

●神渕神社の黒獅子

 慶長8年4月14日(約400年前)から続く七宗町最大の祭り

・ 神渕神社にお祀り(おまつり)している神様は、スサノオノミコト(須佐之男命、素戔嗚尊)と 后神であるクシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)です。

 須佐之男命といえば大蛇・ヤマタノオロチ(八股の遠呂智)を退治したといわれる神様ですね。
 この黒獅子は、大蛇・ヤマタノオロチなんですよ。40人以上の男達が10mもある幕を引っ張り合ってところ狭しと暴れ回ります。

 黒獅子は、古事にのっとり「じじ」と「ばば」の誘導で拝殿から出てきます。 「じじ」はテナズチ(手奈椎)、怖い顔の面を着け赤い棒を振り回すことから「棒振り」とも言い、 やさしい面の「ばば」はアシナズチ(足奈椎)と言って、榊の束を獅子頭の前で振って誘導することから「芝食わせ」 の別名があります。

●毎年4月第2日曜日に奉納



黒獅子

  黒獅子の幕 


●スサノオの命とヤマタノオロチ退治の神話

 古事記のおさらいです

・太陽神であるアマテラスオオミカミ(天照大神)は、高天原(たかまがはら)でのスサノオの命(須佐之男命)の粗暴な行動に激怒し、岩戸に隠れてしまわれた。
 その時、ストリップの元祖、アメノウズメノミコト(天鈿女命)のユーモラスな舞(ストリップ)に皆の者が拍手喝采し大騒ぎするので、アマテラスオオミカミ(天照大神)は不思議に思って少し扉を開けられたところ、アメノタジカラオノミコト(天手力男命)が岩戸をあけて大神を出されたので元の平和な世の中になったという神話は有名です。

 神々の住む高天原(たかまがはら)で大暴れしたスサノオの命(須佐之男命)は、姉であるアマテラスオオミカミ(天照大神)を 始めとする神々の怒りをかって、ついに追い出されてしまった。

 追放されたスサノオの命は、出雲の国、斐伊川の上流に降り立った。この時、箸が流れてきたのを見て命は上流を目指した。
 やがて、老父(おきな)と老女(おみな)が、童女(おとめ)を囲んで泣いている光景に出会った。
 この老父はテナズチ(手奈椎)、妻の老女はアシナズチ(足奈椎)と言って、童女クシイナダヒメ(櫛稲田姫・櫛名田比売)の両親であると言う。

 クシイナダヒメは8人姉妹で8番目の末娘であるが、1つの体に頭が8つあり尾も8つある大蛇・ヤマタノオロチ(八俣の遠呂智)が毎年来て、1人づつ姉の娘を食らってしまったので、ついにこの娘だけになってしまった。今年もその時期が来たので泣いていると言う。

 そこで、スサノオの命は、クシイナダヒメを妻として譲り受けることを条件に、ヤマタノオロチ退治を約束した。
 両親はこれを快諾したので、スサノオの命は、8つの桟敷を設け、そこに八塩折(やしおをり)の酒を盛って待つように教えた。

 教えられたようにして待っていると予想したとおりヤマタノオロチは、8つの頭をそれぞれの酒樽に突っ込んで酒を飲み干し、やがて寝てしまった。
 そこでスサノオの命が、十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いてヤマタノオロチをずたずたに切り殺してしまった。この時、斐伊川は血の川と変わって流れた。ある尾を切った時見つけたのが草那芸太刀(くさなぎのたち)で、三種の神器として熱田神宮に奉納されているという。

 約束のとおりスサノオの命はクシイナダヒメと結婚できた。新婚生活は、出雲の国の須賀の宮で始まった。
「私はこの地に来て、心がとてもすがすがしい」と言ったことが由来で「須賀の宮」というそうだ。また、この時、歌を詠んだ。

    「八雲立つ 出雲八重垣妻籠(ご)みに 八重垣作る その八重垣を」

 こうしたことからスサノオの命は文学の神様と言われるようになった。