(岐阜県七宗町室兼地内)
県内では唯一つの石碑
七宗町内にはたくさんの石仏(碑)がありますが、そのなかでも珍しいものがこの「茶神様」です。
石像のお茶の神様は、岐阜県内ではここにしかありません。
七宗町の室兼地区は、地質的にお茶の栽培に適しており、江戸時代から盛んに取引されておりました。
お茶の栽培は現在まで続いており(最近は急激な減少傾向にありますが)、昔から大切な資金源であったことから
子供が遊んでいてお茶の葉に少し触れただけでも大変叱られたそうです。
そのお茶の総元締めが、上大橋に住んでいた中島兵左右衛門でたいそうな財を成したそうです。
古文書によれば、近畿地方から北陸、尾張までが取引の範囲であったようです。
この茶神様は彼の最盛期の頃、天保年間にお茶街道の出発地であった室兼に建立されたものと推測されます。
お茶街道は山麓に延びていますが、お茶は室兼の部落から尾根筋まで背負って運び上げられ、そこからは荷車で
運び出されていました。茶神様はちょうど荷車への積み替え場所付近に建てられています。(位置は、
昭和になって少し上の方へ移動しています。)
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